三代にわたり、地域の母子を支えてきた歩み
Art touch にらさき助産院は、韮崎の地で三代にわたり、母と子の健やかな毎日を支えてきました。
自宅分娩が主流だった初代、自然なお産を大切にした二代目、骨盤ケアやベビーケアを取り入れた三代目へと、時代に合わせて歩みを重ねています。
変わらないのは「母と子をまるごと支える」という想い――その志を胸に、これからも地域の方々と共に歩んでまいります。
自宅分娩が主流だった初代、自然なお産を大切にした二代目、骨盤ケアやベビーケアを取り入れた三代目へと、時代に合わせて歩みを重ねています。
変わらないのは「母と子をまるごと支える」という想い――その志を胸に、これからも地域の方々と共に歩んでまいります。
初代「韮崎産院」――地域の命を守ったお産婆さん
初代「韮崎産院」の祖母は、かつて「お産婆さん」として地域を駆け回っていた人でした。自宅分娩が主流だった時代、祖母は出産のたびにあちこちへ呼ばれ、命と向き合い続けていました。戦前・戦後――母子保健の体制もまだ整わず、出産はまさに命がけ。そんな中でも、祖母は自身も5人の子どもを育てながら、地域の母子の命を守り続けてきました。
「苦しかったけれど、産婆の仕事があったから家族みんなが生きてこられたのよ。」戦時中のことを多く語らなかった祖母が、ふと漏らしたこの言葉には、命に寄り添い続けた人生への誇りがにじんでいました。
第1次・第2次ベビーブームの時代には、数えきれないほどの赤ちゃんを取り上げ、何千人ものお母さんたちに寄り添い、励まし、支え続けてきました。90歳を迎えるまで、自らの手で訪問を続け、おっぱいマッサージを施し、産後の不安を抱える母たちに安心を届けていました。祖母のやさしい手とあたたかい声は、きっと多くの母たちの心の支えだったと思います。
出産や育児が今以上に過酷だった時代に、地域の中で命を取り上げ、日本の母子保健の基盤を築いたひとり。その功績はやがて認められ、祖母は黄綬褒章を受章しました。いつも穏やかな笑顔と、どんな困難もやり遂げる芯の強さを持った、たくましい女性でした。その生き方、そして志は、今も私の心の中に生き続け、道しるべとなっています。
「苦しかったけれど、産婆の仕事があったから家族みんなが生きてこられたのよ。」戦時中のことを多く語らなかった祖母が、ふと漏らしたこの言葉には、命に寄り添い続けた人生への誇りがにじんでいました。
第1次・第2次ベビーブームの時代には、数えきれないほどの赤ちゃんを取り上げ、何千人ものお母さんたちに寄り添い、励まし、支え続けてきました。90歳を迎えるまで、自らの手で訪問を続け、おっぱいマッサージを施し、産後の不安を抱える母たちに安心を届けていました。祖母のやさしい手とあたたかい声は、きっと多くの母たちの心の支えだったと思います。
出産や育児が今以上に過酷だった時代に、地域の中で命を取り上げ、日本の母子保健の基盤を築いたひとり。その功績はやがて認められ、祖母は黄綬褒章を受章しました。いつも穏やかな笑顔と、どんな困難もやり遂げる芯の強さを持った、たくましい女性でした。その生き方、そして志は、今も私の心の中に生き続け、道しるべとなっています。
二代目「韮崎助産院」――“産む力”を信じて支えるお産へ
二代目「韮崎助産院」の母が目指したのは、「自分らしいお産」の実現。自然な陣痛を待ち、家族に見守られて迎える出産でした。母が助産院を開いたのは、「女性が本来持っている“産む力”を信じて支えたい」という強い思いからでした。昭和後期、出産の場は自宅から病院へと移り、医療は命を守るために大きく進歩していきました。しかしその一方で、促進剤や帝王切開などの医療介入が当たり前になり、出産は「産む人」よりも「管理する医療者」が主役となる時代に変わっていきます。
準備が整っていない母体に対しても出産が進められる現場を目の当たりにし、母は心を痛めていました。そして、「産ませてもらう出産」ではなく、「自ら産む出産」を届けたいという願いを胸に、昭和62年に助産院を開業したのです。母が大切にしていたのは、出産を“家族みんなの時間”として迎えること。夫の立ち会い、へその緒を切る体験、生まれたばかりの赤ちゃんとの記念撮影、パパの沐浴練習など――出産を通じて家族がつながる、新しいお産のかたちを築いてきました。
安全と安心の両立にも力を注ぎ、当時の助産院では珍しかった超音波エコーの知識を独学で習得。医師との信頼関係も時間をかけて丁寧に築いていきました。そして母が何より心を込めていたのは、出産を乗り越えたお母さんへのねぎらいです。母乳を促すやさしい食事、心からくつろげる入院生活、赤ちゃんとともに過ごすあたたかな時間――それらすべてに「家族みんなが笑顔で迎えるお産」という願いが込められていました。
助産師として、そして一人の人間として命と真摯に向き合い続けた母。その姿勢と志は、今も私の中に受け継がれています。
準備が整っていない母体に対しても出産が進められる現場を目の当たりにし、母は心を痛めていました。そして、「産ませてもらう出産」ではなく、「自ら産む出産」を届けたいという願いを胸に、昭和62年に助産院を開業したのです。母が大切にしていたのは、出産を“家族みんなの時間”として迎えること。夫の立ち会い、へその緒を切る体験、生まれたばかりの赤ちゃんとの記念撮影、パパの沐浴練習など――出産を通じて家族がつながる、新しいお産のかたちを築いてきました。
安全と安心の両立にも力を注ぎ、当時の助産院では珍しかった超音波エコーの知識を独学で習得。医師との信頼関係も時間をかけて丁寧に築いていきました。そして母が何より心を込めていたのは、出産を乗り越えたお母さんへのねぎらいです。母乳を促すやさしい食事、心からくつろげる入院生活、赤ちゃんとともに過ごすあたたかな時間――それらすべてに「家族みんなが笑顔で迎えるお産」という願いが込められていました。
助産師として、そして一人の人間として命と真摯に向き合い続けた母。その姿勢と志は、今も私の中に受け継がれています。
三代目「Art touch にらさき助産院」――骨盤ケアとベビーケアで支える日々
三代目「Art touchにらさき助産院」ではママと赤ちゃんの健やかな毎日を支えるために、「骨盤ケア」と「ベビーケア」を大切にしています。
現代の女性たちは、昔とは体の使い方が大きく変わっています。幼い頃の外遊びが減り、椅子中心の生活で慢性的な運動不足により、足腰やお腹の筋肉が弱くなりがちです。こうした体の状態のまま妊娠・出産を迎えると、骨盤の歪みや子宮の位置がさがり、早産や難産のリスクが高まります。そして出産時のトラブルは、赤ちゃんの発達にも影響を及ぼすことがあります。
2005年、自然分娩を大切にする助産院で「骨盤ケア」をお産に導入したことは、大きな転機となりました。産道や胎児の姿勢、子宮の状態が整うことで、お産はよりスムーズになり、母体の搬送はほとんど無くなりました。さらに、出産直後に骨盤ケアを行うことで、腰痛やむくみが和らぎ、母乳も出やすくなって授乳が楽になりました。また赤ちゃんへの「ベビーケア」も、育児の負担を軽くしてくれました。「まんまる抱っこ」や「お雛巻き」は、ママの育児を穏やかであたたかな時間に変えてくれました。
今では少しずつ広がってきた骨盤ケアやベビーケアですが、20年前はまだその大切さを伝える医師や理学療法士をはじめ、専門家がほとんどいませんでした。「妊娠の痛みは産めば治る」「産後はウエストニッパーで締める」「赤ちゃんの頭の歪みは自然に戻る」――そんなふうに言われていた時代です。
そんな時に、骨盤ケアを提唱した助産師・渡辺信子先生の講座に出会いました。妊娠中の痛みは異常のサインであり、早産や難産を助産師の手で改善できること。産後のウエストニッパーはむしろ骨盤を広げ内臓下垂の原因だったこと。赤ちゃんの頭の歪みが体の使い方や発達に影響すること。すべてが目からウロコの連続で、「出産前に知っていたかった」と強く感じたことを今でも覚えています。
骨盤ケアとベビーケアは、これからの子育てに欠かせない知識であり技術です。母子の毎日をより豊かに、笑顔で過ごしてほしい――そんな思いから、2025年、当院はリニューアルしました。
出産を乗り越えた達成感と、わが子と過ごす時間を心から楽しめるように。妊娠前から更年期まで、すべての女性と赤ちゃんの健やかな日々を、これからも支えていきます。
現代の女性たちは、昔とは体の使い方が大きく変わっています。幼い頃の外遊びが減り、椅子中心の生活で慢性的な運動不足により、足腰やお腹の筋肉が弱くなりがちです。こうした体の状態のまま妊娠・出産を迎えると、骨盤の歪みや子宮の位置がさがり、早産や難産のリスクが高まります。そして出産時のトラブルは、赤ちゃんの発達にも影響を及ぼすことがあります。
2005年、自然分娩を大切にする助産院で「骨盤ケア」をお産に導入したことは、大きな転機となりました。産道や胎児の姿勢、子宮の状態が整うことで、お産はよりスムーズになり、母体の搬送はほとんど無くなりました。さらに、出産直後に骨盤ケアを行うことで、腰痛やむくみが和らぎ、母乳も出やすくなって授乳が楽になりました。また赤ちゃんへの「ベビーケア」も、育児の負担を軽くしてくれました。「まんまる抱っこ」や「お雛巻き」は、ママの育児を穏やかであたたかな時間に変えてくれました。
今では少しずつ広がってきた骨盤ケアやベビーケアですが、20年前はまだその大切さを伝える医師や理学療法士をはじめ、専門家がほとんどいませんでした。「妊娠の痛みは産めば治る」「産後はウエストニッパーで締める」「赤ちゃんの頭の歪みは自然に戻る」――そんなふうに言われていた時代です。
そんな時に、骨盤ケアを提唱した助産師・渡辺信子先生の講座に出会いました。妊娠中の痛みは異常のサインであり、早産や難産を助産師の手で改善できること。産後のウエストニッパーはむしろ骨盤を広げ内臓下垂の原因だったこと。赤ちゃんの頭の歪みが体の使い方や発達に影響すること。すべてが目からウロコの連続で、「出産前に知っていたかった」と強く感じたことを今でも覚えています。
骨盤ケアとベビーケアは、これからの子育てに欠かせない知識であり技術です。母子の毎日をより豊かに、笑顔で過ごしてほしい――そんな思いから、2025年、当院はリニューアルしました。
出産を乗り越えた達成感と、わが子と過ごす時間を心から楽しめるように。妊娠前から更年期まで、すべての女性と赤ちゃんの健やかな日々を、これからも支えていきます。